唐突ですが、この絵は現在の僕の到達点のひとつだと思っています。
描き上げたのは2010年から11年にかけて、ちょうど震災の起こる直前です。
まず第一に、等伯の松林図のようなものを描きたいとゆうのがありました。
その頃から銀座をうろつく事が増えて、あっちこっちで競い合うような現代の絵を観るようになると、どうも胃がもたれてきました。
まさにそんな時期に上野で眺めた松林図には、人間一人の作為を超えた透明の美しさがあって、やはりこの絵は次元の違うところにあるような気がして、国宝と
して残すべき絵だと感じました。
こういうものを狙って描こうなんて思わない方が良いに決まってるんですが、ただどうしてもこの感覚に近づきたいとゆう気持ちがありました。
というのも、この動機付けがただの思いつきでなく、自分のそれまでの人生で得てきたことの意識、無意識が森のイメージに象徴されて表出しようとしている感
じがあったからです。
2013年度風に言えば、いつ描くか?今でしょ!って感じだったのです。
また改めて、この絵の制作過程を記したいと思います。
作品と作者は切り離せないもんだけど、本人が死んでも作品が残り愛されるとしたら、ワイドショー的な好感度以外の所に作者の魂が眠っているんじゃない
か…と、今回はそんなお話です。
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よくできた立派な人格者が立派な作品を残すかというと、必ずしもそうではないようです。
ドストエフスキーなんかは、駆け出しの頃にツルゲーネフにいびられたのをそうとう根に持っていたらしく、後の長編「悪霊」の中でツルゲーネフをモデルにした滑稽な役を作りあげ、その役に三文の詩を詠ませてこれでもかというほど笑い者にしています。
こんな仕返しをしちゃうあたり、人間ちっちゃすぎだろっていう陰湿さと執念深さなんですが、そういう性質がなかったらあのドストエフスキー文学は絶対生
まれないとも言えます。(そもそも有望な若手をいびるツルゲーネフもセコすぎですよね!)
優れた人格者が優れた作品を作っていれば、これはもう「ぐうの音も出ない聖人様だ」ってことで人間国宝におなりいただいて皆で泣きながら拝むしか無いのですが、本人の人間的欠陥が人生の足を引っ張るのはご愛嬌みたいなもんなんで、あんまりシビアにならないのが良いかなあと思います。
なんてことを書くのは僕が全く聖人にはなれないたちでして、口は災いの元なんて言いますが、ついつい調子に乗って言わなくていい事ばっか口をついて出る
ものだから、もういっそこの口を斬り落としてしまいたいとか思って『くちなし』なんて絵を仕上げたりもするわけです。
▲優れた作品かどうかはこの際ほっといて下さい!
さてさて、では開き直って適当に生きればいいのかってゆうと、それもなんか違う気がしています。破綻した人格ならその人格なりに、善かれと信じて必死にブ
ザマに生きることが大事だと思うんです。その力強さ、過剰なエネルギーこそが作品の核となる。
ピカソを全否定した、かのパブロ・カザルスも「単調よりは悪趣味の方がまだよろしい」なんて申しております。
現代画家に忘れ去られたモチーフ、ここでまさかの自画像制作です。
自分のことも観えてないのに、人様だの社会だの描けた義理じゃねーなって思ったからです。
僕はいい歳をして、自分に対して非常に曖昧な認識で生きてきました。どこか投げやりというか、お客様気分で生きてきたように思います。
みたくないとこは見ないし、こうでありたいという願望と実際を混同したりします。その認識の甘さは、現実と直面する度にあらわになりました。
昨今は国民総批評家みたいな時代だなあと思うんですが、その実は自分の問題を投影しあってるだけのようにも感じます。自分のダメなところから目を背ける一
番簡単な方法は相手のせいにすること、あるいは自分を第三者的な蚊帳の外に置くことだと思うんだけど、いくら目線をはずしても存在してるには変わらない。
それよりは、いやでもなんでも目ん玉ひんむいて見続けていれば、なんだよもうしょうがねえなあって、いいかげん可愛げを感じてくるかも知れない。
無きものとするでもなく、無理矢理に変えた振りをするでもなく、変わりようのない自分を、潔く認めて背負って生きるしかありません。
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そしてもうひとつ、制作のきっかけとしてゴッホの手紙を読んだことがあります。読んでいるうちに、彼は少しも狂人なんかじゃない、むしろ理知的すぎる、その明晰さで自分の精神に大きな負荷をかけ過ぎて、それで故障しちまっただけだ、そう感じました。
そう思って彼の自画像を見ると、どこまでも厳しく自分を見つめることで生まれた結晶のように迫ってきます。
どこかにあるはずの自分探しなんてものではない、いまここに在る自分を凝視するってこと。これは自己分析ともまた違う、とにかくその目で己を見尽くすこと。絵におこすことは、解剖台に乗っけて骨格・内臓から皮膚の細胞に至るまでいじくり倒すようなもの。かたちを知り尽くすこと。
デフォルメされて写実で無いように見えるゴッホの自画像ですが、実は非常に的確にデッサンされ、手で掴める造形を持っています。曖昧さでお茶を濁したところがありません。
画家はどこまでいってもしょせん画家で、ないを頭ひねるより、自分の眼を信じた方がいい。頭脳で分析したものを絵に表すより、描いちゃった絵を後から分析すれば、そこに自ずと本質が出てるはずだと思います。
他人を描くならまだしも、自分を描くとなると、無意識にどんな恥部を晒すかわからない。そもそも人に見せる前提で描くものじゃないのかも知れない。それでも、もはや自分の人生は半ば絵のための人体実験と諦めてる節があるから、とにかくやってみるまでです。
僕自身の心には闇がある。けど、病んではいません。心に深い闇があることは、健康なことだとさえ思っています。
小学校に上がる前の幼い頃、虫を捕まえるのが大好きでした。地べたに座り込んでは、虫と一日を過ごすような子供でした。ところがたまに残酷な気分に駆られ
て、無下に虫を殺すことがありました。ただその衝動は、猫を殺して校門の前に曝しておくような猟奇的なものとは違っていたように思います。
小学校にあがると、母方の祖父母が住む山奥の家に、夏休みによく泊まりにいっていました。山の斜面に半ば無理矢理建てられた長屋のような家、その一番奥
の部屋が山岳信仰の祭壇の間になっていて、でかい太鼓や剣、垂れ幕、人形がひしめき合い、一番高いところに祈祷師みたいなことをやっていたという曾祖父母
の遺影が飾ってありました。この部屋の異質さが子供心にあんまりに恐ろしくて、絶対にそこには近づかないようにしていました。この山奥での体験、眺めた景
色は、いま僕が描く風景画、室内景画の原型といえるものです。
小学生の終わり頃、丹波哲郎の大霊界をテレビで観た夜、死ぬということを延々考えているうちに、自分もいつか必ず消えて居なくなるということをハッキリ自覚して、戦慄し、頭がくらくらしてパニックになりました。それから夜な夜な、死の恐怖に怯える夜が始まり、今でもそんな夜は、変わらずにあります。
しかし生きている人間が死を想うことは、やはり病んだ行為ではない気がします。
では病みとはなんだろう。
闇からみる死は、ズシリとした重み、漆黒の深さと形を持った死です。
病みからみる死は、その本来の重みをイメージできなくなるほど世界から孤立し疲弊した時にふっと襲ってくる、ムードのような死という気がします。
心の病みは多種多様、人それぞれで、とても僕なんかが論じたり定義はできません。
ただ絵描きとして僕の出来ることは、形なきものに形を与える事だと思っていて、闇から死を引き摺り出して形にしたい。死が重みを持つことで、生きる力が増
すように思うからです。
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