2022年 コロナ禍三年生
2022年2月13日 新年のごあいあさつ
2022年、すでに2月ですが、あけましておめでとうございます。
ホームページの日記を更新するのは2年ぶりですが、元気にやっています。
と、二年前の自分に向けているのか、今の自分に向けているのか、並行世界の自分に向けているのかよく分からない状況ですが、どうせ誰も読まぬ文字通りの「日記」、白々しいけど架空の誰かに語る感じで書いていきます。
日記を放置したこの二年間では、なかなか大きな世界の変化がありました。新型コロナウイルスの流行です。
と、これも二年経って良くも悪くも日常化してしまった2022年現在、今さらどう書いたらよいものか分からない状況です。
自宅で仕事をする環境になっていたので、実はそんなに自分の生活環境は変わず、最初はそれなりに暇で庭カフェやら散歩やらで楽しんでいたのだけど、20年秋からは仕事も忙しくなって、なにかと籠ってやることが多く、気が付けばあっという間に二年経っていたという印象です。
17年に郊外に越したこともあり、周りはのどかでコロナが身に迫っている感があまりなく、もし都内にいたら気分が違っただろうなとも思うのだけど、マスクをする以外の日常的な支障はなかったように思います。
ただ問題は、日常よりも非日常の欠如だったなと思います。イベントごとや会食、遠出はかなり制限され、友人とのコミュニケーションの機会は激減。SNSでなんとなく近況を報告しあって、いいね!するくらい。刺激の減少による言語能力、コミュニケーション能力の退化が心配なこの頃です。
もともと年寄りくさい傾向があって、世俗からどんどん離れてゆきそうになるのをパートナーに引きも戻してもらっているところがあり、完全なメンタル老人が完成する前に、人類がコロナを克服することを願うばかりです。
2022年3月3日 アーカイブ。密かな野心。
−インスタグラムで3枚ずつ更新していくキャンペーン始めました。SNSというより、アーカイブに近い感覚です。
3枚組だとスッキリ見えていいなと思ったのが動機だったのだけど、思わぬ効用がありました。
連作でピックアップしていくうち、各3枚に共通するこだわりポイントが見えてきて、自分がそれらの絵で何を追求していたのかが自覚されてきました。
また改めて整理して眺めると、紙とペンという限定性の中、ひとつの同じことを続けていたようで、表現に思わぬ幅が生まれていたなと思えました。
20代の頃に50〜60年代の即興ジャズの音源にハマって、シンプルな楽器ひとつで自由自在に表現できるのがカッコいいと思い、僕も紙とボールペンだけでどこまでやれるか挑戦してみたいと思った、その甲斐があった気がしてきました。
ちなみに、自分の趣味にそって“コーヒー”にも例えるなら、僕にとってのボールペン画はブラックで愉しむコーヒーで、たまにやる着彩やコラージュや映像は、ミルク・ホイップ・キャラメルやシナモンなんかを加えて愉しむアレンジコーヒーみたいなものかも知れません。−
*
と、以上はTumblrにアップした内容の転載です。
実はここからがこの「日記」ならではの書きたいこと。
先の日記の通り、隠居老人みたいな心境が出てきてか、自分のやってきたこと、作ってきたものの記録、それにまつわる画家の思考を残しておかないとなと思い始めています。
今は紙に書き残すより、WEB上にデジタルタトューしておくのがいいかなと思っていて、かといっていつ消えるかわからないSNSよりも「ホームページ」を作り込んでおくのが最終的にはいいと思っています。
PC上にサイトを構築しておけば、後の世であってもサーバへ上げ直すこと、ブラウザで読み込むことができます。
それにSNSは「今」を共有、共感しあうツールで、タイムラインは次々と流れてゆき、のちのち読み返すアーカイブ向きではないようにも感じています。
こんなことを書くと本当に隠居するみたいな雰囲気が出てしまうけど、本当はまだまだやりたいことばかり。それでも、これまでの作品も十分に世に残すべきものと自分の内なる確信があり、それに基づいて画業をつづけているので、元気なうちからどんどんアーカイブ化も進めておこうと考えています。皆が目先の競争に気を取られているうちに、長い目で伏線を張っておく段取りです。
こういう強かな本音こそ、イキってリアルタイムでつぶやくより、あとあと発掘されたほうが面白い。
2022年3月22日 断捨離風な
なんとなく身辺整理という訳ではないのだけど、このまま作品を自分の所に囲い込んでいて、急に何かあった時に、家族が作品をどうしたらいいか困るだろうなと思い始めました。
作品をのちに残すためにも、少しずつ売っていこうかなと思う。
まあ、人様が買いたいかは念頭においてこなかったし、今のところお金に困っている訳でもないので、とりあえずBASEに置いていって、反応を見てみようかという感じで。
とこのように、目的とそれに対する手段を明確に定めないふわっとした感じは、良くも悪くも日本人的だなと思うこの頃です。
(また気が変わるかもしれないですが。)
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