L 2015年 〜 時々の初心 〜
2015年1月26日 展示のさなかに
「土着の人」会期の半分を折り返しました。
今回の展示は、伊豆野一政さんの陶芸と僕の絵が不思議なくらい自然に呼応して、妙に心地の良い空間になりました。白白庵の石橋さんの絶妙なしつらえもさす
がといった感じです。
なかなか普通のギャラリーではお見せできない感じの展示なので、ぜひこの空間を味わいにお越しください!
→詳細
2015年2月3日 展示を終えて
「土着の人」「えんぎもの」無事に会期を終了いたしました。
お越しくださった皆さん、応援してくださった皆さん、展示でご一緒した皆さん、本当にありがとうございました!
ふだん閉じ籠りがちな僕ですが、いろんな人に支えられたり交わったりして、とても広がりのある展示になって楽しかったです。
この縁を大事に精進して参りますので、今後ともよろしくお願いいたします!
今回の展示は、伊豆野さんの陶芸、石橋さんのしつらえ、そして白白庵の光と風通しの良い建物の力を借りて、くつろいだ広がりのある展示になりました。
普通の画廊や美術館の展示は、絵に集中できる反面、つい見るぞ見るぞと肩に力が入ってしまいます。そして、よくも悪くも絵の枠の中で完結してしまいま
す。
しつらえによって生活空間に溶け込むようなこの展示は、現代アートのインスタレーションみたいな意味じゃなくて、本来の絵の居場所、人の生活や気持ちに
寄り添ってゆく為の道しるべとなるかも知れないなあ、なんて思っています
2015年4月10日 天祭 一〇八、参加します!
昨年春にも参加した、増上寺で行われる「天祭 一〇八」に今年も出展することにな
りました。
絵を描くのはなかなか孤独な作業ですが、作品の発表は束の間の晴れ舞台です。ハレといったらお祭のこと。雨男の僕も、この日ばかりはアッパレな気分で臨み
たいと思います!
会場では絵だけじゃなく陶芸・クラフト作家さんの展示・即売、他にも怪しいイベントてんこ盛り!僕も久々にブックカバーやグッズなんかも出してみようかな
と張り切っています。ぜひ財布に福沢諭吉先生を忍ばせて遊びに来てください!
『天祭 一〇八』
◆会場:浄土宗大本山 増上寺
◆会期:2015年4月17・18・19日
※会期無事に終了いたしました!今回もたくさんのご縁が生まれ、おおいに楽しませていただきました〜。ちなみに陶芸家・星川先生の陶芸ワークショップで、
わたくし人生
初の陶芸作品が生まれましたオギャー!
2015年5月26日 続いて来月、渋谷で展示します!
来月、地元「南信州」の大御所達とTOKIOの渋谷で展示をいたします。
『南信州のアーティストたち』
◆会場:アートギャラリー道玄坂
◆会期:2015年6月15〜28日
出展者のひとり塩澤孔六先生は、中学生の時にたった一度だけ美術の授業に代理でいらっしゃった先生
です。(おそらく先生は憶えてらっしゃらないだろうなぁ。。)
鉛筆スケッチを妙に褒めてくれて、授業終わりにわざわざ席に来て「君は絵描きになりならんかね」なんて言ってくれたんだけど、全然そんなつもりもなく、ま
たまたぁと冗談程度に受け流しました。
あれから20年、本当に絵描き同士として展示をご一緒することになるのはとても不思議な気持ちです。
今回はまた、中学校時代の恩師・北野敏美先生、教育実習先でご指導いただいた川上久光先生ともご一緒させていただき、恐縮の極みです。大学の教授や著名な
画家にもそんなに恐縮したことのない不埒な僕ですが、地元の先生というのはいつまでも頭が上がらないものですね。
2015年6月28日 展示を終えて
「南信州のアーティストたち」会期終了いたしました。
お越しくださった皆様、企画にたずさわってくださった皆様、本当にありがとうございました。
子どもの頃に「絵って面白いなあ」と感じた気持ちを久々に思い出すことのできた展示でした。僕はもう15年も東京で生活をしながら絵を描いています。山里
の風景を描いているわけでもありません。しかし、やはりどこかで南信州の画家の眼と通じているのだなあと実感しました。
また今回、特に絵を描きながら生き抜いて来た年長の方の絵から、余分な力の抜けた「えごころ」みたいなものを感じました。そして自分の絵はまだまだ若いな
あと思い、同時に今はそれで良いんだとも思いました。
ぐううっと力を入れて力を入れて力を入れて、そこからストンと抜いたときに、もっとも自然な姿勢になるように、若いうちは持てる力を込めるのが良いと思う
からです。
2015年7月13日 夏だサイケだ!Tシャツだ!
数年前まで僕は押しも押されもせぬ夏ギライで、夏が好きとか言ってる輩はただの嘘つきかチューブの
聴き過ぎだと思っていました。
ところがある夏、炎天下を“あー熱い、あーいやだ、あーしんどい、あー早く喫茶店で涼みたい”と世界を呪いながらジメジメ歩いていると、ついにリミッター
を超えたのか、暑さに抵抗するのがバカらしくなった。
んで、ジタバタするのをやめて、暑さを全身全霊で味わってやろうとキメました。
そうキマッタ瞬間、胸のすくような心地良い暑さが自分の中にゴーゴーと吹き込んできたのです。
小学生の夏。少年野球。蜃気楼に歪むグラウンド。通りすがりの同級生がポカリスエットをうまそうに飲み干すのを恨めしく眺めた日曜の午後。。。そして高校
の夏。改築中の校舎に代わる灼熱のプレハブ校舎。気休めに天井から吊るされた扇風機がセカイノオワリみないなモーター音を響かせて、中世も近代も紀元前も
脳内で溶け合う世界史の授業。。。そんな忌まわしい記憶がパリーンと割れて、拒み続けていた夏の太陽が生まれて初めて愛おしくなった!
それからというもの、夏ギライの頃が嘘のように、うだるような暑さの中をデロデロと歩くのが好きになりました。この時の酩酊感は酒のそれより清々しく気持
ちが良い。耳からは南国の音楽はもちろん、サイケ・プログレ、怪しく暑苦しい音楽が気持ち良い。ちなみに去年の夏はThird Year
Band「錬金術」(YOU TUBE)にどハマりしました。
さてさて、そんな脳内空中散歩にもってこいな夏のアイテムといえばTシャツです。期間限定でオリジナルTシャツを作りました。ぜひこいつで、身も心もあっ
ちの世界へ大冒険してください!
ご注文受付終了いたしました。オーダーくださったみなさま、ありがとう!!
2015年7月23日 マイ・タンブラー、始めてます
生活の中でなかなかパソコンでの更新ができないので、スマホで更新できる「Tumblr」をはじめ
ました。絵についての「制作日記」に近い感じで更新していようかなと思ってます。
ひやかしホームページの更新がなくて「チッつまんねーな」、「いやん、寂しいわあ〜」って時は、こちらを覗いてみてください〜
「酒井崇tumblr」
2015年8月31日 10周年。言葉の表現について
2005年の夏にこのホームページを作って、執念の10周年です!
これまでボールペン画
作品のほかに、「日記的なもの」「制作日記」、最近は「tumblr」など
で、日々の気持ちや絵に対する考えを言葉にもしてきました。
今読み返すと恥ずかしくなるような文もあるし、この文章だって後で見たら恥ずかしくなるかもしれません。それでも、これはこれで自分の作品みたいなもんだ
と思って、一から消さない方向でやってきました。
名無しの匿名希望ではなく自分の名前でやって来た誇りもあります。
しかし、最近のインターネットやSNSの流れをみてると、何が地雷になって何が起こるか分からないし、過去の発言まで遡って糾弾される恐ろしい世の中で
す。
それとは別に、言葉は絵画以上にハッキリした意味を持つから、知らず知らず誰かを傷付けているかもしれません。
自分なりに過去の文を読み返して反省したのは、自分の信じる考えをより強固にしたいが為に、相反する考えを否定するやり方で、これは良くなかったなあとい
うことです。いま思えばそれだけ自分の考えにまだ自信がなかったからかもしれません。
最近では、「自分の感じたこと、自分の信じること」のみを書くように努めています。批判は自己批判や自戒を込めています。
読んだ方と考えが異なるかも知れないし、がっかりすることもあるかも知れないけど、僕は違う考えの方を否定する気持ちはありません。
これだけの情報の中、「自分の頭で考えること」こそ本当に難しいことだと感じていて、それぞれの本心から信じることを見出せるなら、わざわざ違う誰かを攻
撃するような争いは減るんじゃないかなあと思っています。
2015年10月31日 突然のフリマ
何年かぶりの野外フリマ。
フリマならではの予想外なこともてんこ盛りで、やっぱりオモシロかった!
ひやかしに来てくれた先輩には「まだこーゆうのやるんだ笑」なんて笑われたり、わざわざ訪ねてくれた常連さんに「初心にかえるような感じですか?」と質問
をただいたり。
▲差し入れハロウィンパンの産まれたてクオリティと、似顔絵プロの生き写しクオリティ。
まあ実はそんな深い動機もなくって、なんか堅苦しゅうない
とこでのびのびやりたいなーって思ったくらいのことです。
最近毎日の即興ドローイングで遊んでる影響もあるのかな、手が柔軟に動くと脚も柔軟に動いてくるし、脚が動くと手も動く。
時間的にゆとりが出来たのもあって、けっこう知人の展示にも飛び回っていて、それで制作は良いのか?って感じだけど、実は制作も調子良く進んでいます。
僕は元を正せば、まっとうな道でつらい努力をするのが嫌で嫌で逃げとして絵を始めたようなところがあります。
大変ストイックに絵を描いていると思っていただくこともあるんだけど、僕にとって絵ばっかりは面白くて描いてるだけで、実はあまり努力だと思ったことがあ
りません。
たまに絵について小難しいようなことを書くけど、それも僕にとっては知的探究心を満足させる為のエキサイティングな遊びのひとつだったりします。
さてさて、
ここ十年は勤め人をしながらの制作で、結局のところ仕事でだいぶ努力をしてきました。もっともっと絵を描きたいのになーってのが本音でもあります。
ただ、なんかうまいかたちでいろんなことが円満で柔軟にまとまる方法が出てこないかなーなんて考え始めていて、そのためのストレッチ運動に入ったのかなー
とか、今この文章を書きながらふと思ってきました。
2015年11月18日 絵描きの眼、感想
先日、同郷の画家で高校の大先輩でもある江添繁和さんの個展にうかがいました。
会場で絵についての率直な感想を話していたら、同席していたやはり高校の先輩で地元新聞社のMさんに「やっぱり専門でやってる人の感想の方がおもしろい」
と言って、新聞に掲載するための感想文を依頼してくださいました。
これまでだったら「いやいや僕みたいな素人の文なんて…」と引いてたと思うんだけど、モジモジしてる歳でもねーなってのと、絵画について評論
家側から一方的に画家が評論され、勝手に評価付けされてる感じがずっと気に食わなかったので、本来の専門家である絵描きの側からも絵について言葉を発して
ゆく良い足が
かりなんじゃないかと引受けました。
今回はそんな気負ったことは書かないんだけど、僕の中で、画家がいいと思う画家がちゃんと評価されていって欲しいという思いがあるので、発言のチャンスが
あったら引かずに発信していきたいと思ってます。
2015年12月5日 37にして
つい先日オギャーオギャー言ってたんだけど、37年経ちました。なかなか早いです。
このスピード感なら、来週には還暦を祝っているかも知れません。
それにしても年々視力が低下してきて困ってるんだけど、見えすぎる目はもっと困りもの、これも良い傾向かなーと思っています。
おぼろげに、そしてじっくりと眺めてゆけたらいいな。
絵を見るのは、テレビやYouTubeより退屈なものです。だけどそこが良い。
たまにふらっと銀座の画廊に行って、ボーッと突っ立って絵をみるのが好きです。
一枚をぼんやりぼんやり眺めていると、だんだん感じが出てきます。しみじみ
としたり、楽しい気持ちがしたり、肌に温度を感じたり、音楽がなるのを感じたり、生きた人間が描いたものって、なんかが伝わってくる。
そんなことをしてると、後から入って来た達人や評論家たちが足早に僕をゴボウ抜きにしてゆきます。よほどみんな目が良いんだなあと感心します。
そしてちょっとさみしくなります。
たまにいつもの慣れた道を歩きながら思います。本当は世界をいつでも初めてのような新鮮な気持ちで眺められたら、もっと見えてくるものがあるんだろうなっ
て。
けど、知識も経験も増えて、見切りが良くなるほど先入観で脳内処理してしまうから、そこにある価値を見出せなくなってしまう。目新しい新鮮な刺激に釣られ
ていくうちに、何が良いものかそうで無いものかが分からなってしまう。
先日久々に大好きな名曲喫茶に行って、窓辺で珈琲を飲みました。むかしフリーターだった頃は、平日の一番のんびりした時間に喫茶店にいって、珈琲を飲んだ
り本を読んだり絵を描いたり、そんな無駄な時間に幸福がありました。最近は喫茶店に行っても有益なことの為にせかせかしてばかりで、こういう感覚を忘れて
たなあって思った。またこんな愛でる気持ちで絵を描きたいなあって思った。
まずひとつ、これまでの環境を変えることになりました。お世話になった方にあんまり不義理をしたくないので、迷惑のかからないように話し合っています。
それから来年、やっと個展をする気持ちになりました。四月頃の予定。
未発表のまま眠っている50号と80号と100号もようやくお披露目できます。
愛でるように描くので、愛でてもらえたら嬉しいな。
そんなこんなで、37のわたくしをよろしくお願いいたします!
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