K 2014年 〜 新続・盛りの極めなり 〜





2014年1月5日 新年の挨拶、展示のお知らせ


新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

今年は午年で、僕は年男です。
「無事これ名馬なり」と言われる通り、健康と平穏を第一に画業を続けてゆこうと思っています。

さて、歳と共に5年10年があっという間に感じられてくるのですが、逆に1年1年がとても長く感じられます。
つい1年前のことが、もう何年も前のことのように遠く感じるんです。
そこには半透明な膜が掛かっていて、もう決して戻るべき場所ではないと実感します。

昨年の暮れあたりからパブロ・カザルスのホワイトハウス演奏会のCDをよく聴いているのですが、古い録音だけあって、決して音がクリアではありません。
しかしその遠くてこもったような感じが、僕には余計に沁みて来ます。
かつてそこにあった華やぎ、それは失われた過去のものであって、モノクロの箱に大事に大事に閉じ込められている。




それは過去だから美しいのであって、同じものがここに鮮明に蘇っても、今の僕がその場に居た人たちの気持ちになれるわけではないんです。

今できることをやろう、なんてのは何かのスローガンみたいですが、今の気持ちを常に噛みしめることは大事だなあと思っています。今を噛み締めていなけれ ば、美しい過去だって生まれないでしょう?


* * * * * * * * *


そして今年はじめの展示です。
小さな風景画一点ですが、これまでとはまた趣の異なる絵です。
銀座へお越しの際には、ぜひ覗いてやってください。

「はじめ展 2014」


◆会 期: 2014年1月4日(土)〜11日(土)
◆会 場:ギャラリー枝香庵→詳細





2014年1月12日 はじめ展、終わり初めです。


はじめ展、無事終えました。お越し下さった皆さま、ありがとうございました!

僕は絵を描く時に下描きもしないし、コンセプトを練って描くこともありません。
白紙から流れに任せて絵が生まれてゆく感じです。
ところが、いざ展示してお客さんの感想を聞いていると、あ、そうだったのかーと自分で全然意識してなかった事に気付かせてもらって、それを自分の解釈に取 り 入れてく事がよくあります。

今回の展示でも、あるお客さんにとても貴重な感想をいただきました。




伊勢にある夫婦岩を描いたんですが、そのお客さんは二年ほど前に実際の夫婦岩を観て、そして今回の僕の絵を観るまでの間に大きな波乱があり、ようやく光明 がみ えてきた時期だったとゆうのです。
そんな話をうかがいながら絵をみていたら、暗いトンネルの出口に佇む夫婦のようにみえてきました。足場は相変わらず不安定だけど、互いがしめなわでしっか りと結 ばれている、そんな情景です。

自分ではなんだかまたおかしな異形の景色を描いてしまったなあと思ってたんですが、新たな解釈をいただいて、自分の絵がとても救われたように感じていま す。




2014年1月23日 作品集、委託販売店の情報


作品集を都内の以下のお店で委託販売させていただいております。
お立寄りの際には、ぜひチェックイットアウト願います!

最 寄り駅

営 業時間
住  所
新  宿
 模索舎   11:00〜21:00
 ※日曜日のみ12:00〜20:00
  新宿区新宿2ー4ー9
中  野
 タコシェ
  12:00〜20:00(年中無休)
  中野区中野5-52-15
 中野ブロードウェイ3F
荻  窪
  ロック酒場
 「チャーリーズ・
 スポット

  19:00〜2:00
 ●定休日:日曜
  杉並区天沼2-5-10
吉 祥寺
 百 年
  月曜〜金曜=12:00〜23:00
 土曜=11:00〜23:00
 日曜=11:00〜22:00
 ●定休日:火曜

  武蔵野市吉祥寺本町2-2-10
 MURATAビル2F

(※2014年1月現在の情報です。店頭で見当たらない場合には、 店員の方に尋ねてみてください!)




2014年2月2日 「14回 現代の創造展」のお知らせ


 故郷の飯田市美術博物館で開催される『現代の創造展』に、今年も出展させていただきます。

 去年一年の制作を振り返ると、序盤から中盤までは、力技でゴリゴリと80号の大作に挑んでいました。気分的にもアグレッシヴで、積極的に新しいことにも 挑戦していました。後半からは少し静かな心持ちになってきていて、小さな絵をひっそりと描くようなことをしていました。
 そしてこの創造展にむけては、秋の終わり頃にようやくパネルを水張りして、白い画面を何日もぼんやり眺めて、さあて、そろそろいいかなあと描き始めまし た。

 僕は日常的な感情と絵が切り離せないところがあって、わかりやすいところでは描く対象の選択に日々の影響があらわれます。また、それまでと同じモチーフ であっても、敏感に自分の感情や心理が投影されます。
  今はなんというか、自分の作為だとか、必死に根を詰めることで結果を出そうという気持ちがどうも湧いてこなくて、流れるままに任せていられたらなあという 感じでいます。しかし、それはそれで言うほど簡単ではなくって、ついつい、もっとあーしたりこーしたりしないとダメなんじゃないか、伝わらないんじゃない か、なんて不安も大きいです。

 それでも、攻める絵はまたその気分になってきたら描けるので、今はこんな感じでいいんだろうと、結果的に紙の白が大半を占める絵になりました。そしてそ の中にも、僕の背骨のようなものを刻んでおきました。



 ぬかりなく全てを埋め尽くされた世界じゃ、人は息が出来ません。それが例えほんのひと時の寄り道であっても、自分本来の自然な見方を取り戻せるような表 現ができたらいいなあと思っています。


「 第14回 現代の創造展」


◆会 場:平成26年2月9日(日)〜3月2日(日)
     ※休館日 2月10日(月) 12日(火) 17日(月) 24日(月)
◆会 場: 飯田市美術博物館




2014年2月13日 日々の絵

自分が苦しい時には、つい周囲はいい気なもんだなんて思えてきま す。
 調子のいい時に有頂天になってひんしゅくを買ってしっぺ返しを喰らうなんてのはまだ序の口で、可愛いもんです。むしろ自分が苦しい時に相手に八つ当たり したり、苦しい俺にこそ権利があるなんて横暴を働いた時に、本当にいろんなものを失うんだと思います。

 僕の経験上ですが、特に関わりの深い相手とは、感情の起伏が同期することがあります。一緒に盛り上がった分、下がるのも時を同じくします。自分が苦しい 時こそ、大事な相手の見えない気持ちを慮るときだなあ、なんて感じます。


 年々絵を描くことが自分の人生に染み込んできて、一体化しつつある気がします。もし僕が理想化された精神だけの存在であれば、頭でも丸めて、崇高で普遍 的な美ばかりを突き詰められることでしょう。
 でも僕は肉体を持って普通に生きてる人間で、まずはしがない日常というものと格闘して生きております。
 日々を、喜びと哀しみ、愛と憎しみ、希望と絶望、そんなもんと一緒に、非常に泥臭く営みながら絵が生まれています。





 便所の落書きのような感情のゴミ捨て場として絵を描くつもりはありません。ただ、自分の生のものが研ぎ澄まされ結晶化して絵に定着してゆくことは大事だ と思っています。そうやって繰り返し描いてゆく中で、ごくごく稀にポンと普遍的な傑作が生まれる、そんなバランスが良いのかなあと感じています。





2014年2月15日 文庫カバー、新作追加中!

通信販売部で販売中の「文庫カバー」、地道に種類を増やしています。



 最近の都会の通勤電車ではいい歳した大人が誰も彼もスマホをいじっていて、ぶわっかも〜ん!もっと文庫本を読まんか〜!と旧波平の声で申し上げたい、っ てのは大嘘で、そのス マホで「ひやかし通信販売部」へアクセス、景気よく「文庫カバー」をドカーンと発注してくださ〜い!

通信販売部へアクセス!



2014年3月3日 現代の創造展、終了しました。


 今年は度重なる大雪で交通の大変な中、ご来場くださった皆様、本当にありがとうございました。実は僕自身、雪による交通のストップと仕事の都合で帰郷を 見送り続け、最後の最後になんとか滑り込みで会場へ足を運ぶことができました。




今年はガラスケースの中に展示していただき、わお!こいつぁ〜まるで重要文化財みてーだ、なんて感激しました。
ちなみに毎年絵のどこかに隠れキャラを仕込んでおくのが恒例行事だったのですが、最近物忘れがひどいせいか、うっかり忘れておりました。わざわざ探してく だ さった方、すみません!


さて、そんな慌ただしい帰郷の中で、どうしても行きたかった場所があります。
飯田市美術博物館の敷地内に「日夏耿之介記念館」として、日夏耿之介の旧宅をそっくりに再現した記念館があります。


▲二年前に訪れた日夏耿之介記念館。日夏先生の生活が想像される。


しかし行きたかったのはここではありません。実は最近ネットで本物がまだ現存するっ てことを知り、なんだって!記念館みて喜んでる場合じゃなかった、絶対に行かなくては!と心に決めていたんです。

そう、こちらこそが紛うことなき、日夏耿之介が晩年を過ごした旧宅です。




そもそも日夏耿之介とはあの澁澤龍彦が、いや〜さすがのあっしも日夏先生の業績にゃあとても及ばないでやんすよ、なんて降参したとか言われるような凄い人 なんだけど、地元の人ですらほとんど関心がない。
文学好き同士の会話でもその名が挙がることはまずない。かくいう僕も、著書を読んだのは近年で、特に詩は難解で「…ま、まあ、美しいってことだけはわかっ た!なはは!」といった具合で す。
ただ、随筆における気持ちいいくらいの毒舌ぶり、偏屈ぶりは読んでて痛快で、まさに狷介孤高、なんか長野県民っぽいなあって感じで、とても好きになりまし た。

 話は戻ってこの旧宅ですが、近年まで人が住んでいたらしく屋根にはソーラーパネルが乗っかってたりします。しかし今は完全に空き家のようで、若干荒れ気 味、庭を覗くと竹がぴょんぴょん生えてきています。
このまま放置したらますます荒れて、取り壊しなんてことになりそうな感じです。
 ううむ、もったいないなあ、もし僕がここに住めるんだったら、どんなにか素敵だろう、なんて真剣に考え込んでしまいました。




2014年3月11日 震災から三年。朝、ぽんやりと思ったこと。

 

この日が来ると、簡潔に、丁寧に生きようと思う。





そう朝思ったことを肝に銘じながら一日を終え、就寝前にブログをまとめています。
本当はひとつのものをじっくり愛でているだけで十分に一生を過ごせてしまうのかなあと思います。
でも現実には、インターネットひとつ開けば、あれもありまっせこれもありまっせと目まぐるしく迫ってきて、わけがわかんなくなって、結局あれもこれも手に 入れるだけ手に入れて、たいして可愛がりもしなかったりして、ふわふわ浮ついて消化不良のまま一生が過ぎてゆくのかなあ、なんて思うこともあります。

一昨年引っ越したとき、たくさん大事だった物を処分しました。次は出来るだけ簡素に、ものを増やさずに生活しようと決めていたのですが、段々と欲が出てき て、 気が付けばまた物が増え始めていました。
なんとか植物だけは、命のあるものなので粗末にしないようにと戒めてきました。

震災の後、自分の人生がどこかおまけのような、奇跡のバランスでたまたま生きて存在しているに過ぎないという感じが強くなりました。できれば簡潔に為すべ きことを為して過ごしていきたい。不惑の四十まではまだ少しありますが、少しずつ絞り込んでいけたらいいなと思っています。





2014年年3月19日 桜咲くころ?散ったころ? 展示のお知らせ


四月、展示が2つあります。

@1日〜8日まで、ザギンの「ギャラリー枝香庵」さんにて、物語の登場人物をテーマにしたグループ展示です。
A18日〜20日の三日間、ギロッポンの「増上寺」にて、展示販売。
 僕が画家のコスプレをして手売りします(要は普段着でーす)



まずは@の展示の詳細です。

好評につき第3回を迎える「物語の中の主人公達」展、今年も出展させていただくことになりました。
主題の選択は毎回自由です。第1回はトルストイの「アンナ・カレーニナ」、第2回は谷崎潤一郎の「春琴抄」、そして今回はアンドレ・ジイドの「狭き門」を 選びまし た。


既に読まれた方はご存知かと思いますが、「狭き門」のヒロインと言えば殉教者的に清純を貫くアリサです。
しかし、今回僕がテーマにしたのはアリサではなく、妹のジュリエットです。
作品中の彼女の役割は、清純なアリサを引き立てる通俗的な噛ませ犬のようでもあります。しかし僕には、アリサの自己完結した殉教より、真に人間を受け入れ 愛する慈悲深さを持っていたのはジュリエットではないかと感じられ、彼女に光をあてたくなったのです。

「物語の中の主人公達3」

◆会 期: 2014年4月1日(火)〜8日(火)
 ◆会 場:ギャラリー枝香庵→詳細



Aについては、また後日改めてお知らせいたします!






2014年年4月13日 物語の終わりと、新たな始まり


物語の中の主人公達展、終了いたしました。お越しくださった皆さん、ありがとうございました。



今回の絵は、手のひらをこちらに見せています。手の内を隠して身を守っているうちは、人を受け入れる事はできない。
率直でありたいという自分の願いも託した絵でした。

また、この絵は昨年の終わり頃から展示直前まで、常に持ち歩いて描いていました。
いつもの安珈琲屋や、たまに行く名曲喫茶、残業中の会社のデスク、そして自宅の窓辺に、長野の実家、いろんな気配の中で、その時々の偶然を拾いながら仕上 がった絵です。

絵にもマイルが貯まるなら、なかなかマイルの貯まった絵だとも言えます。
今後は作品の発表エリアも発展させて、更に作品にマイルを貯められたらいいなと思っています!

(近年Facebookというのを覚えて、気軽にスマホから文章を載せていたら、けっこう満足してしまってホームページの日記を怠りがちでした。上記の文 もFacebookに書き捨てた文をまとめたものです。
いつも来てくださる方から、これらの言葉の断片で絵の理解が深まった、とメッセージをいただき、ちゃんとホームページへも載せてゆこうと思いました。)


* * * * * * * * *

そして息つく暇もなく、次の展示のお知らせです。芝の増上寺の大広間で、僕自身が絵のテキ屋をやります!

「天祭 一〇八
 〜現代日本ものづくり縁起 in 増上寺〜

◆会 期: 2014年4月18日(金)、19日(土)、20日(日)
 ◆会 場:大本山 増上寺 (東京都港区芝公園4-7-35 仏教寺院)
  →イベント公式サ イト


 このイベントの主催ギャラリー「白白庵」さんの発足趣意(こちら) にも共感する所が多く、いい縁だなあと応募、出展できることになりました。大広間の畳二畳分ほどのスペースで、絵の展示即売をいたします。
 また、会期中に行われる二次審査で選ばれると「増上寺現代コレクション」とし て収蔵されるそうです。以前に江戸東京博物館で感激した狩野一信の「五百羅漢図」も増上寺の収蔵品であり、ここに収蔵されることは後世に 作品を残す絶好の機会でもあります。
 とまあ、それはさておき、久々にフリマのようなことが出来るのが楽しみです。スマイル0円(税込み)から各種取り揃えております。もちろん、ひやかし大 歓迎でーす!




2014年年4月22日 祭りの後、絵の居場所って

増上寺の展示販売イベント「天祭 一〇八」無事に終了いたしました。老若男女多くのご来場をいただき、連日大盛り上がりでした。みなさま本当にありがとうございました!
ここ最近は画廊で展示の多かった僕にとって、お寺の大広間で、さらに陶芸作家さん達の中に紛れ込むという、風変わりな展示となりました。





▲いらっしゃいませ〜

 お祭り気分で会場をうろうろして、陶芸、造形作家さんの作品もしこたま楽しみました。土から手で作り上げた陶芸作品をいろんな角度でガン見して、触って なでて感触を確かめて、作家さんの話を聞きました。陶芸の人って、どこかドシリとしてて情緒豊かだなって思った。それに対する自分の生 活、頭ばかりのパソコン仕事に日々を費やし、その隙間でなんとか紙に向き 合っている自分の、精神しか拠り所のない脆弱さを思いました。僕はもっと、仕事より絵で追い込まれなくちゃいけないな。

 先に風変わりな展示と書きましたが、本来は絵を飾る為にギャラリーなんてものが出来たのが現代のことで、かつては和の空間の中で焼き物も絵も渾然一体 だっ たはずです。床の間には掛け軸がかけられ、花器に花が生けられ、襖や屏風に絵が描かれ、誰かの手によって作られた器や箸でご飯を食べる。
 現代の絵が普通に売れず、実力やヤル気を持った絵描き達でさえなかなか絵で食べていけないのは、人の生活や心情から絵がかけ離れて、よくわかんないとこ ろに閉じ込ん でしまったか らじゃないかなと感じます。絵は明るい絵にせよ暗い絵にせよ、人の心に寄り添い、豊かにする力や役目を持っていたはずです。

 妙な話ですが、本来絵を展示して売り買いする画廊より、今回のお寺の展示の方が、より多く絵を買っていただくことができました。
芸術を発表するぞ、芸術を鑑賞するぞ、とお互いに固くなってしまう画廊のノリより、お座敷での「市」みたいな雰囲気の方が、部屋に飾ったらどうだろうなん て気楽にイメージしやすかったんじゃないかなとも思います。

 絵が必要なくなれば絵描きも消えるよりほかないし、絵が生き返れば、絵描きも生き返る。状況を嘆くより、響く絵、心に沁みる絵を描けるよう精進したいと 思 いま す!




2014年年5月6日 東京を巡る

 オラこんな村イヤだ!といった勢いで東京へ出て来た感じでもなく、進学とか成りゆきで住み始めた 東京。ところが気が付けば、もう17年目に突入、18歳までいた長野の飯田生活を追い越そうという勢いです。
それですっかり都会人になったかというと、地方から遊びに来るみなさんの方がよほど東京に詳しくて、僕といえば杉並区内のヴェローチェとダイソーと公衆ト イレの場所に詳しくなったくらいなもんです。
こんな無知な僕が東京に飽きたなんて言ったらバチがあたりますが、最近は窮屈な通勤電車に揺られ、追い立てられながら、なんで東京に居るんだろう、なんて 思うことが増えてきました。
現実問題として、いま東京で職にありつけているというのが大きくて、地方から何も無しに東京へ出られない人と同様に、何も無しに東京から出られない僕がい る、といったところでもあります。

だがしかし、本当の問題は、ここがパリだろうがロンドンだろうが丸の内だろうが同じことで、単純に自分が現状に飽き始めているということです。
これは大変危険なことで、放置すれば自分がどんどん縮こまり固定化していく。
絵についても同様で、惰性でコツコツ手を動かす分だけ作品が劣化してゆきます。
その事を予感してから、とにかくここを離れないとマズイと思い始めたんですが、いやまてよ、ここでぐるぐるしてるだけなら、何処へ行ってもぐるぐるするだ けだな、だったらまずは東京を味わい尽くそう、そう思ったんです。



そう思い直して足を動かし始めると、自分の嗅覚も鋭さを取り戻してきて、必要な情報とそうでもない情報を嗅ぎ分けるようになってきました。自分の限られた 時間と体力を費やすからには、ぼんやり受け身ではいけない。 出来れば面白いものを、そしてせっかく見たり聴いたりしたものからは、何か得てやろうという貪欲さも蘇ってきました。ここ数年、新しい言葉や人の名前さえ 覚えられなくなっていたのは単純に好奇心を失っていたからで、興味をもって関わったことはちゃんと憶えるし忘れないんだなあと安心し始めました。

葛飾北斎は生涯で90回以上も引っ越しをしたといいます。それほどまでにマンネリ化や退屈というものの恐ろしさを知っていたんじゃないかと、僕は勝手に想 像します。
70歳を過ぎて、これまでのワシの絵はくだらんもんじゃった、こっからがやっと本領発揮じゃわい的なことをぬかしたとゆう画狂老人と比べたら、僕のような 何も作り上げてない若造が守ってる場合ではないなあとも思う。
まずはこの地を納得いくまで巡ってみます。それで新鮮さを取り戻すか、なお閉塞感にぶち当たって飛び出すか、酒井にサカイして下さい!



2014年年6月8日 七月の展示

来月はじめ、音楽をテーマにした展示に参加します。昨年の装幀画展の音楽版といった感じで、好きな 曲をテーマに絵を描き、ジャケットも自作する企画です。
 ただ、今回はちょっと思い入れが強すぎて、数ヶ月間も納得いくまで歌詞を翻訳したり、メインの絵とは別に肖像画を描き出したり、CDケースの裏面も作り 出したり、だんだん始末に負えなくなってきました。 同時に、死者に入れ込むのは危険なことだとも思えて来ました。


▲ジャケット用とは別に描いた肖像画です。

また会期近くにお知らせいたします!



2014年年6月23日 七月の展示のつづき

上記の展示の詳細です!

アートで聴く音楽
ジャケットアート展



会場:麻布十番パレットギャラリー
会期:7月2日(水)〜7月13日(火)
時間:11:00〜19:30(最終日は18:00迄)


自分の好きな曲をトリビュートして、絵とCDジャケットにする展示です。
僕が選んだのは、Nick Drake(ニック・ドレイク)の「Cello Song」という曲です。

小さい頃から音楽はとても好きだったけど、特定のミュージシャンに憧れるということはほとんどありませんでした。思春期に同級生が憧れるロックバンドも ロックスターも、なんとなくついていけない感じでした。

それでも、幼少期に童謡のレコードをさんざっぱら耳にぶち込んで育ったおかげか、耳だけは敏感で、自分の耳を頼りに小さく小さく音楽の趣味を広げてきまし た。
そんな知識もない僕の耳に入ったNickDrakeは、抗うべくもなく心に沁み込んできました。決して明るくもなければ派手さも大きな盛り上がりも な い。しかし 暗く落ち込む陰気なものではない。冬の白い光の中に照らされて、艶やかに輝く照葉樹の静かさで、乾きそうになる気持ちを潤してくれる力がありました。

彼は若くして死んだミュージシャンの一人だけど、その音楽や生涯からは、破滅的、衝動的に暴走する類いの若さは感じられない。むしろそれとは対極の、どこ か若年寄りのような、あまりに若く老成してしまった倦怠と諦念みたいなものさえ、僕には感じられます。
今回選んだ「Cello Song」という曲を聴くたびに、その死が絶望ではなく、まるで光への飛躍や解放であったような印象を感じていたのですが、今回自分で歌詞を翻訳してみた ことで、その印象をさらに強めました。彼はあまりに早く世界の秘密を知ってしまった。そしてただ退屈そうに、天から射す光を待っていたのかも知れません。
(他者の死に勝手に解釈を加えるのはあまり感心しないことですから、これはあくまで僕の勝手な気持ちを投影してのことです。)


Cello Song

Strange face, with your eyes
So pale and sincere.
Underneath you know well
You have nothing to fear.
For the dreams that came to you when so young
Told of a life
Where spring is sprung.

キミの面影、
それはまるで見知らぬ誰かのよう
とても青白く、そして偽りがない。
すべてを悟ってしまった
もう恐れるものさえないキミ、
幼い頃に見た夢の秘密を
渇れることのない泉のそばで
語ってくれないか


You would seem so frail
In the cold of the night
When the armies of emotion
Go out to fight.
But while the earth sinks to it’s grave
You sail to the sky
On the crest of a wave.

凍える夜の闇に、キミは儚く消えてしまうだろう
ならばその感情を奮い起こせ、
その高鳴りの絶頂から天高く飛べるはずだ
たとえこの世界が死の底へ沈んだとしても


So forget this cruel world
Where I belong
I’ll just sit and wait
And sing my song.
And if one day you should see me in the crowd
Lend a hand and lift me
To your place in the cloud.

だから、この惨たらしい世界のことは
忘れてかまわない
僕はここで待っているよ、そしてただ、歌うんだ
もしいつか、人混みで僕を見つけたら、その手を差し伸べてほしい、
そしてきみのいる空へと導いてくれ

(翻訳:酒井崇)


* * * * * * * * *





▲こちらが、制作、展示したジャケットです!







2014年年9月10日 ものづりの国、ニッポン!

ものづりの国、ニッポン!の将来は明るいです。
 いま中学3年生になる姪っ子が、みごとにものづくりに励んでいるみたいで、おじさんは「うれし!はずかし!たかし!」です。


▲小学校に上がる前から一緒にらくがきして遊んだ姪が、
 こんな立派なものをつくるようになったなんて(>_<)・゜゜


 こりゃお嬢さん、僕の絵なんかよりよっぽど売れまっせ!ってことで、販売コーナーを作りました。ぜひ、日本の未来に明るい希望をお願いします!
めいっこアク セサリー販売コーナー






2014年年12月18日 絵の余白、生きる余白


冬生まれの僕は、先日誕生日を迎え、36歳、いよいよアラフォーを名乗れる感じになってきました。
最近は絵について、描くことと同時に描かないこと、余白ということをぼんやり考えています。絵の余白も生きる余白も、その人特有のバランスがあるのかな。

僕はボールペンの黒い線で細密に描くのですが、仕上がりとしては白い絵になるのだと自覚するようになりました。
黒の色面を効果的に使えば、より画面が引き締まって強い絵になるんだけど、自分ではあまりそうしたくない。絵画では「地と図の関係」なんて言ったりするん ですが、地の白と図の白がほつれながら繋がって、風が吹いているような絵が僕には心地よいんです。






昔油絵を習っていたのですが、油絵の白は、暗い色彩の上から不透明に被せていく、厚みをもった白です。これは水彩画や水墨画の、紙の地を残した透明な白と は対極のものです。
社会生活で例えるなら、週末のスケジュールも徹底的に調べ上げて組み立てて愉快に過ごす白と、ぽっかり空いた週末をぽんやり過ごすような白です。


僕の絵の白は後者の白で、自分の人生の白なんだなあと感じるようになりました。
時間という時間を、意識的に有意義に過ごさねばならないという焦燥、空間を埋め尽くさなければ落ち着かない空間恐怖は、すべてをぬかりなく説明しなければ 納得しない現代社会のよう。
どこかのんびりしていて、なるようにしかならぬというところで生きる潔さ、多くを語らずとも察する心は、日本画のぽっかり空いた余白のように感じます。



三つ子の魂百までと言いますが、だんだん自分というものが見えてきて、自分に対する誤解が解けて、自分の性質は幼少期とあまり変わらないように感じてきま した。
こうありたい、こうあらねば、と厳しく戦うのもいいんだけど、僕はガッカリするほどそう言う猛々しいものが板につかない。
この変えようのない自分というところで生きてゆくよりないのかなあと、最近は清々しく明らめています。





今から二年前、私生活で自分の人生のルートがごそりと想定からズレる事があり、しばらく足元を落ち着ける為に右往左往していました。それによって遠回りし たり消耗した事もありますが、得たものもや出会った人もたくさんあり、これも人生の妙味かなあと感じています。

生きてゆく中で、想定外から身を守る為に強固な城を築くことより、何が起きても受け入れ生きていける柔軟さを持つことの方が、あるいは大切なのかも知れま せん。強固なものはポキリと折れるのみです。


まあそんなところで、あまり先々をカチリと決めず、ぼんやり開けておいた余白に、たいへん面白い展示のお話が舞い込みました。
なんか面白そうだとふらり出掛けた先で生まれた縁から、偶然の寄せ集めによって新しい空間が生まる、こんな愉快なことはなく、まさにそんな類の展示になり そうです。



*********



『土着の人』
伊豆野一政(陶)×酒井崇(ドローイング)
企画・しつらえ:石橋圭吾(白白 庵)


◎同時開催『えんぎもの』
◎会場:白白庵(南青山)
◎会期:2015年1月17日〜2月1日(木曜休)
詳細


陶芸作家、伊豆野さんとの二人展です。
絵を習い始めた頃からなぜか染み付いていたドロドロした土着臭が、土の作家さんとの対峙で本領発揮される機会を得ました。
どんな展示になるのか、僕も今から土っ器土器です。。



「外苑前」駅から歩いて5分くらいです!

 







【未来の日記】
2015年>>

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